「~でなければならぬ」を捨てる
実家から通学可能で国家資格が取得可能という親の希望により、浜松医科大学を平成5年に卒業後、同大学の病理学教室に入局と同時に大学院入学。といっても研究者を志す気持ちはさらさらなく、「学位がないと病院での昇進は難しいし、研修医でも大学院生でもやることは同じ。先輩もそうしているから」という教授の勧めに従っただけである。静岡県どころか浜松市さえ出ることもないと疑問も不満もなかったが、大学院途中から、1. 東京・感染研>2. スイス・ジュネーブ大>3. 埼玉・理研>4. 阪大・微研>5. 京大・医学部>6. 現所属とノマド・ライフだ。1・4・5は松田道行研究室(現京大病理)で同じだが、都会・田舎という国内外の多彩な地域、単科大学と旧帝大、研究所や付置研、国立・私立、医学系と理工系、と幅広く経験した。当初は2年の内地留学というありがちな医局人事であったが、留学して当たり前という人々に囲まれ、私の世界も開いていった。自己を限定しないことと、それとは矛盾するが自分が勝てるポイントを考えることを学び、それが私の仕事を決めた。偶然の産物のキャリアですが、若い方々の枠を外すきっかけになれば幸いです。(抄録)
by uchinadap | 2013-06-04 12:39 | 病理 | Comments(0)